クチコミについて考えたこと

クチコミについて考えたこと

 おかげさまで当院も開院して1年と3ヶ月が経過しまして、初めてのブログ投稿がこんな話題で恐縮です。

 

 ブログなるものをする暁には、もっと美しい話がしたいと夢見ていたのですが…。

 

 

 最近、Googleマップのクチコミ欄で、最低評価のクチコミを立て続けに頂戴しました。

 

 たとえば、こんなものです↓

 

 

 『星一もつけたくない先生です。
  首を傾げ、遠くを見つめるような目で、人の話を聞いていません。
  で?
  と言われ、衝撃でした。
  薬をもらうためではなく、どうやったら治るか、薬に頼らないために通院しているにもかかわらずあまりに酷いです。
  他の方がどうして高評価なのか理解できません。
  レビューで病院を選んで失敗しました。』

 

 

 こっちが衝撃です。

 

 

 こんなのもあります↓

 

 『私が悪いのかもしれないけど.....あんまり人に自分の悩みを話すのが得意じゃなくて言えないタイプで、毎回薬飲めてるかっていうのを聞かれてちょこっとだけお話しして次いつにするかって話になります。

  自分のことを話そうとして泣いたことがあるのですが結局何も言えず泣きながら次の予約を入れておしまいって感じでした。
  悩みをあまり言い出せない人にはお勧めしないですが、ちゃんと言えた時はゆっくり話聞いてくれる感じです!

  受付の人も感じがいいのでちゃんと自分で話せる人にはおすすめです!

  待合室がすごく静かで電話対応している時結構声が聞こえるのでちょっと....ってところもありますが笑』

 

 

 おすすめなのか、おすすめでないのか。どっちなんだい!?

 

 

 どちらもは最低評価の1★☆☆☆☆です。

 

 当然、納得いきません。こういう時、どうすればいい??

 

 私が信頼する人達は、みんな「放っておけ」と言います。本当にそうなんだろうか??あきらめきれない気持ちになりました。

 

 

                             

 

 

 クチコミの内容はともかく、軽々しく点数つけるのはやめてほしいなぁ……と切に願うのは、今のGoogleマップのクチコミ欄が、事業者にとって、全くフェアではないからです。

 

 このクチコミ欄のたちの悪さは、Googleマップのビジネスプロフィールというものが、Googleにおしつけられているのも同然で、かつ、マップの影響が大きすぎることに由来しています。

 

 Googleマップの影響が大きすぎるから、ちゃんと見栄えを整えなきゃいけない。

 すると、クチコミ欄は、まるで事業者が自ら用意した正当なものであるかのように鎮座ましますということになる。

 そして、どんなことを書かれても、まずGoogleは対処してくれません。

 そして、一部の人が勘違いする……。

 

 ただ、クリニックでは、とりわけ診察室の中において、患者さんは弱い立場にあるのはたしかで、その立場を一気に逆転させるのが、このGoogleマップのクチコミ欄なのかもしれません。

 だから、受診を通じて欲求不満を覚えれば、投稿することによってうっぷんを晴らせる。そういう装置として働いている。

 

 わわわれクリニック側は、Googleマップの力を呪いながら頼るという、苦しい選択をさせられているのに対して、低評価のクチコミをしたくなる人達にも、真に頼れる情報源が得られていない苦しさがあるのでしょうね。

 でも、そんなクチコミをしたからといって、何も解決していかないから、その人は同じことを繰り返し、次なるクチコミ被害者を生み出す。不毛だなぁ……。

 

                            

 

 

 ここしばらくつらつらと考えるに、こうしたことの根本にあるのは、傷つきやすさや傷つきたくないという気持ちの強さではないかとふと思いいたりました。

 

 

 この世界で100%たしかなことはありませんね。限られた情報を頼りに、私たちは何かを必死で選び取ります。そして、何らかの体験をする。

 選んだのは自分なのに、嫌な思いをしたらすべて相手が悪いと考える人は、低評価のクチコミをしてしまうのでしょう。

 

 そして、酷いクチコミで傷つきたくないと思っている自分にも気づきます。

 

 

 みんな、思うとおりにいかないこと、時に良くない結果を受けとめる勇気が必要なのかもしれません。

 

 

 だから、この場合、「放っておく」というのは、本当にひとつの正解なのだと思います。

 

 これからは、賢明な先輩諸氏がそうしているように、高評価のクチコミに日々感謝し、低評価のクチコミはスルーすることにします。

 

 「放って」おきつつ、自分たちのしなければならないことをする。明日からまたがんばろうと思えました。